不老不死への科学


◇苦労したほうが得か、楽な生き方が得かについての不老不死的観点から見た見解。

「若いうちに苦労しとけ」という言葉は現代の価値観から言えばあまり説得力のあるものではない。

極論的かもしれないが今は苦労しなくてもそこそこ楽しく生きていける時代だからだ。

東大内にも苦学生らしき人はあまり見ない。

今はそういう時代なんだしそれで全てうまくいっているのだから別に問題はない。

つまり個人の能力や経験を必死になって磨く必要はないのだ。

この状況をもっと細かく分析してみる。

実際苦労する人は根性があるので社会的に大きな貢献をすることが多いかもしれない。

でも金儲けしている人のほうが目立つのだ。

それに寿命が100年程度の現代においては社会的に成功するための要素は環境によるところがかなり大きい。

また金儲けはあまり個人能力とは関係ない。

だから生きてるうちに金儲けをして死ぬまでの間裕福に暮らせればいいという思考になるわけだ。

それが100年を最も楽しく過ごす方法なんだろうし、だからみんなそういう人に注目するのだ。

ちなみに昔は貧乏だったが、今は企業の社長になったという場合もあるが、それはたまたま個人能力が高い人が金持ちになれたというだけのことだ。

だが不老不死の時代において社会的に評価される人はタイプが異なってくる。

つまり無限の時間において一定の金はあまり価値を持たないわけで、むしろ個人能力の高さが評価されるようになるのだ。

人生における目標も金儲けという選択肢は消え、無から何らかの価値を生み出す芸術的なことに重点がおかれるだろう。

何かを創造するということが一番面白いことだと気づくわけである。

この状況において楽なことばかりを選んで生きていても暇になるだけだろう。

長い時間の中で平凡な生活なんて送れるとは思えない。金がいくらあっても金は物質的なもの以外の価値あるものを与えてはくれないだろう。

だから苦労というものが忍耐強さとか奇抜な発想を与えてくれるものならば、長い時間の中で大きな価値を与えてくれるわけである。

以前述べたが無限の時間の中では確率による淘汰圧がかかる。事故死する可能性がかなりの影響力を持つということだ。

この確率による淘汰を避けることは、環境はほとんど関係なく個人の瞬発力や判断能力がものを言うだろう。

この確率による淘汰からはおそらく楽して生きてきた人は逃れられない。危険を察知して回避する能力がないからだ。

苦労するのと楽するのがどちらが正しいかという質問についての答えはなく、どちらも無意味なことなのだろうが、最終的に生き残る人種は前者である。

これは最終的に笑うのが苦労人だという安易な哲学を言っているのではない。

死者を笑うのは馬鹿げた行為だし、人間は生きている限り永遠に死の可能性にさらされるので笑える立場になるということは永遠にないだろうからだ。ただ生き残っている人だけが死を回避する選択肢を選べるというだけのことである。

実際笑おうと思えば笑えるのは生き残っている人たちだけなのだが。

最後に笑う者など存在しないが、死んでしまっては笑うこともできないのだ。  

はじめに

1.デジタル世界はどんどんリアルに

2.個性の開発

3.無限時間における確率淘汰

4.受動進化から能動進化へ

5.苦労したほうが得か、楽な生き方が得かについての不老不死的観点から見た見解

6.社会を変えていくということ

7.幸福についての考察

8.不老不死研究が世界に及ぼす精神変化

9.死がエンターテイメントとして成り立つ時代

10.自我転送で単一自我から複数自我へ

11.自我転送による自我無限ネットワークの形成

12.全自動化社会から真の永遠へ

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