◇社会を変えていくということ
大学には政治・社会系のサークルがいくつか存在する。
そういう団体で活動する人の行動パターンは、まず誰か一人が何らかの主張をする、その一人が数人の賛同者を集める、さらにメンバーを集めるためにビラ配りや街頭演説を地道に行う、集団が少しずつ大規模になっていき政治に抵抗力を持つだけのものになる、といった感じだ。
ここで重要なことはこの状態が一人の訴えから発展しているということだ。
最初は賛同者がいないとしても個人の主張が正しいものであれば、いずれは大規模なネットワークが形成され国を動かすまでになりうるのだ。
沖縄の空軍基地建設に対して俺と同い年の人間が一人で反対を主張しはじめ、だんだん賛同者が集まり基地の建設に対抗しているという事実はそれを証明している。
でもそういった社会を変えようという意思を持ったタイプの人間はほんの一握りしか存在しないようだ。
今はそういう時代なのだと言えばそれまでだが、これから寿命が延びていくに従い、今の哲学のほとんどは崩壊し新しく再編成された哲学が普及するだろう。
今の俺の価値観は不老不死が実現した時代を頭の中でシミュレートしてみた結果形成されたものだ。
だから自分が考える普通と今の普通という概念はしばしば食い違う。
でも未来の社会で不老不死が実現した場合、社会の状態はかなり個人にとって重要なファクターになるはずだ。
その社会において半永久的に暮らすであろうからだ。
今は有限寿命の時代なので必死になって社会を少し変えても、長い間その社会に存在するわけでもないから、あまり意味がないのだ。
だから一般的な個人は社会を変えようとはしないし、それでも特に問題はないのだ。
しかしそういう人たちこそこれから人間の寿命が延びていくことを知るべきである。
そうすれば自分の次に社会のことも真剣に考えるようになるかもしれない。
その社会で自分が長く暮らすであろうということを認識し、社会の環境が自分に大きく関係するということに気づくからだ。
つまり結局人間はほとんど自己中なのだ。
2.個性の開発
5.苦労したほうが得か、楽な生き方が得かについての不老不死的観点から見た見解
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