◇無限時間における確率淘汰
不老不死になった時に次に考えることは確率的な死の回避であろう。
つまり事故死を避けるということだ。
しかしどんなに確率の低いことであっても無限の時間の中では、それが起こる確率は限りなく100%に近づくことになる。
つまり人間は100%の確率でなんらかの事故に遭い死ぬことになる。
それじゃ不老不死なんて無理じゃねーか!!
いや、無理ではない。
なぜなら科学をどんどん進歩させ続けることで社会全体のセキュリティーをアップしていくことができるからだ。
セキュリティーをアップさせれば事故に遭う確率はどんどん小さくなっていく。
ではどのくらいの程度で事故に遭う確率を小さくしていけばいいのか?
それはある一定期間の間に事故死する確率を1/4としたら、その期間ごとに
1/4→1/9→1/16→1/25→1/36と確率を減らしていけばよい。
そうすれば生き残る確率は0にはならず、0よりも大きい数値に収束する。
つまり確率的な死を避けるためには、事故死する確率が完全に0にならない限りは永遠に研究し続けていくことが必要になる。
どこかで研究をやめてその確率が一定値をとれば、生き残る確率は0に収束していくからだ。
つまり不老不死の実現は永遠に終わることがない。
この状況でうまく生き残りたいと思ったら、あらゆる事故の原因となりうるものを予測し、自己の判断によりそれを避けることが必要だ。
ぼ〜っと生きていてはいつ事故に遭うか分からない。
どんな金持ちでも頭が悪くて努力しないような人は、確率的な死によってすぐに淘汰され消えるだろう。
生き残るためにはそのための対策を練り常に気をつける努力をしなければならないのだ。
無限の時間の中では何が起こるか分からない。
要は無法地帯と同じだ。
無法地帯で生き残るためには、殺られる前に殺れだ。
だがそんなことをして死刑になっては意味がない。
永遠に生きるということは無法地帯で法律を守りながら生き残るということなのだ。
だから、肉体的な強さ、頭の回転の速さ、生きたいという強い意志、運の良さのどれが欠けても、確率により淘汰されてしまうだろう。
割りと裕福な環境に生まれて守られながら生きてきたような平和ボケした人は、生き残れる保証はないのだ。
だがそれが分かっているなら、そのための対策を練る時間はありそうだ。
事故死を回避するためのノウハウや技術を開発して、かつそれを習得するための訓練方法を構築すれば、効率良く事故死を回避できる。
未来の社会では、事故死を回避するための教室や通信教育が流行り、学校の授業の科目にも必修科目として加えられるだろう。
その中でもさらにいろいろなタイプに分かれていて、違うタイプの複数人で集まり協力し合う訓練なんかが特に重視されているだろう。
すごい人になると一人でいくつものタイプの訓練を習得したりするだろう(これを複数の属性を持つと呼ぶことにする)。
それで初めて会った人には名前とか趣味の他に、自分の属性を紹介したり、「君の属性なに?」みたいな会話が至るところで聞こえるようになっている。
どういう人がタイプ?という質問には、この属性がいいな〜みたいに答えるだろう。
なんかドラクエの職業みたい。。
あげくの果てには、その属性を活かして競い合う何らかの新しい競技が生まれるだろう。それは個人競技もチーム戦もなんでもありだ。
そしてオリンピックの種目として認められることになる。
全ての競技の中で一番視聴率が高そうである。
また、それをもとにしたゲームもできてかなり売れるだろう。
実際に部活とかでサッカーをやる人がゲームのサッカーもやるのと同じだ。
前に書いた、完全3D・五感刺激型のゲームが開発されれば、かなり面白そうである。
そういうサークルもたくさん出来て、人間同士の交流が活発になりそうだ。
またそれぞれの属性に適したグッズなどの開発などでビジネスにも影響を与えるだろう。
サッカーやってる人がスパイクを買ったり、ユニフォームを注文するのと同じだ。
こんな感じで未来の社会は大きく変化していくと思う。
このような世界の確立には非常に長い時間がかかるだろうが、まずは老化研究の進歩が肝心だ。
だから老化研究がある程度進歩してから考えればよいだろう。
時間はまだまだいくらでもあるのだ。
2.個性の開発
5.苦労したほうが得か、楽な生き方が得かについての不老不死的観点から見た見解
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